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関西弁で萌えさせたい

方言フェティッシュな五合からイッパツ愛をこめて。



「ユイチロさん、ナニゆうてはりますのん……アホッ(笑)恥ずかしやないのォ」

「あきまへん!(睨んで)ユーイチロはん!…あきまへんえ。そないなリクツがドコにありますのんかいな…」

「ユーちゃんナニゆうてんのん! そんなんアカンてゆーたやろ? イヤや、ウチはイヤやもん…そんなんしたがるなんてユーちゃんオカシイわ…」



いつも遠くから尊敬の念を込めて仰ぎ見るはてなid:ykuriharaさんこと栗原さん『おまえにハートブレイク☆オーバードライブ』で先月「余はいかにして関西弁フェチとなりしか。 」というエントリがあって面白かったのでこっちも方言について楽しく戯言を弄してみたいと思った次第。


○身に染み付いた言葉としての関西弁

関西育ちなのでリラックスして/マジで喋るときと考え事をするときのデフォルトはずーっと関西弁である。
初めてこれに心底から気付いたのは東京に転勤したときであった。当り前だけど。

同時に色々なことに気付いてゆく。

 ・「訛っている」という指摘(ハア?って感じ)
 ・「標準語」の気持ち悪さ(サブイボが出る)
 ・ゼンゼン面白くない職場の会話(こいつらアホちゃうか)
 ・反感を買う関西弁
 ・さんまやダウンタウンや紳助の再評価
 ・やってみればゼンゼンできる標準語イントネーション
 ・圧倒的に面白くなくなっていく自分の話
 ・東京の街中で聞こえてくる関西弁の不快さ(勘弁してよ)

そのころ人前でしゃべったり、人がしゃべる原稿書いたりする仕事が多くて(学生が相手なんだけど)、講演原稿みたいなのをずっとやってて、時に詰まっちゃってどうしようもなくなるんですね。
ちょっと声に出して読んでみたりするんだけど、やっぱりうまくいかない。

で、ホントに煮詰まっちゃって夜中に「せやからなァ、つまりやなァ…」なんて試しに関西弁でしゃべってみるとアレアレ、ちゃんと最後まで行くじゃない。なんだ、内容じゃなくて主に言葉遣いで困ってるんじゃん、おれ。じゃあ一度最後まで関西弁でしゃべっといて、最後に標準語で清書すればいいんだろ。それが分かってからはだいぶ楽になったことでしたよ。



○憧れとしての方言

中学高校のころから落語と浪曲が好きだったので(そのころは京都にいましたが)江戸っ子弁はもちろん大好きでした。基本ですけどやっぱ志ん生と虎造が大好きで、東京のときは職場が新宿だったので末広亭も何度か行ってみました。そのとき観た志ん朝さんは大感激で、かけがえのない思い出ですね。

東京のあと仙台に赴任して、盛岡やら青森やらにもよく出張で行って「うわあ東北弁カッコエエなあ」と思いました。できることならおぼえたい、と。おれはすぐ好きになって憧れちゃうんですね。それで事務所で「東北弁強化月間」とか言ってなんかやってましたけど、津軽弁学習テープとかも買いましたけど、結局むつかしすぎて身に付きませんでしたねえ。今でもできるのは「伊奈かっぺい」の「しゃべればしゃべたてしゃべられるし…」っていうネタだけですね。

東北で知ってショックだったのは「みんなどこかの時点で方言を押し殺すんだ」ということでした。
そのとき知り合った秋田の子は、新潟の学校に行ったときにウッカリ「んだァ」って言って「いけないいけない」って友だち同士で言い合ったりしたとか言ってましたけど、ナニがイケナイんだかちっとも分からない。めちゃめちゃカワイイじゃないですか。おれは大好きだけどな。東北が大好きだけどな。

そうして古い映画を観たりすると、また違うんですよ。
たとえば勝新主演の『酔いどれ博士』ってくだらない映画があるんですけどね、そういうの観てると、必ず東北弁しゃべる人が出てくんのね。60~70年代とかの映画には絶対。関西弁しゃべるのも出てくる。九州弁の人も出てくる。
「ああ、集団就職で東京へ行ってる人とかへのサービスなんだなあ」と。あるいは全国区で売るためにはこれが必要なのか、とか。『男はつらいよ』とか『トラック野郎』とか、やけに日本中でロケしたもんね。

そして結局は東北弁がマスターできないわたしは、東北にいても関西弁でしゃべり続けるんですね。「関西のヒトですかァ?」とか言われながらね。「違うよ、江戸っ子でんがなァ」とか言いながらね。これがまた嫌がられたりモテたりイロイロだァね。

だけど「東男に京女」ってのは、何のことか分かるようになりましたよ。東北の男はね、口下手かもしれないけど、不言実行で情に厚いんですよ。ペラペラしゃべって調子のいい関西男なんか、男の風上にも置けねえってもんですよ。
そんで東北の女もそんなふうなんですよ。だから軽い男が好かれる場面もあんのよ、なあ。



○パワフルな関西弁

いみじくも栗原さんがおっしゃったように、わたしの関西弁は今やどこか人工的かもしれないですよ。だってタマに大阪に行くと誰ともしゃべらないうちから自分で思うもの、「ああ、おれの関西弁は甘くなってるなあ」と。ベッタベタのを聴かされると。

そんなわたしが他地域に住んでいながら自分のシャベリを取り戻せたような気になれたのは、テレビ以外だと、やっぱりマンガの『じゃりン子チエ』ですね。あれは本当にすごい。関西弁のグルーヴが全編にのたくり回っているとしか言いようがないです。「ののちゃん」もいいけど、4コマじゃ物足りないし、いしいひさいちは切れ味がよすぎる。もっとダラダラしてるのが関西の生理。テレビで言えば鶴瓶ですかね、実は。中島らもさんもそうだったか。

それから「わたしの好きな大阪弁」という意味では市川昆監督の『細雪』にトドメを刺されますね。これは関西圏以外にいるときの方が効きますね。


関西弁が基本的に他地区で(ほとんど生理的に)嫌われることが多い理由はこの何年かでよーく分かりました。実際に自分でもその気分を東京では味わったし。関西側から言えば、要するにやっかみですよ。無意識レベルまで沈んでる「なんでオマエは自分の言葉を捨てないんだ(おれは捨ててるのに)」ってことですよ。
だから逆に、感情を爆発させた方言による表現は全国的な支持を得てるじゃないですか、常に。三上寛しかり、友川かずきしかり。

関西から(大阪から)言えば、それはやっぱり「東京」への対抗意識をどれだけ持つか、ということですよ。おれは東京にいたとき、埼玉や茨城や千葉へ行って正直「ダメだこりゃ」と思ったよ。そこの若い奴は東京しか見てないもん。だったらそこの地元に根付いた文化なんてできっこないもん。おれはヒップホップを見てるから、それらの地区にもカッコイイやつがいるのは知ってるけど、大勢としてはさ、韻踏合組合とかさ、ザ・ブルー・ハーブほどの恐るべき成果をあげることは地政的に難しいんじゃないかと思っちゃうんだよ。(余談だけど、おれはブルーハーブがいるから札幌に赴任したとき迷わず平岸に住んだよ。)

大阪の人たちの「東京」に対する意識は、ほとんど「敵対」と言ってもいいほどだ。そしてそれぐらいじゃなきゃ「自分たちの文化」なんて作れない。それぐらい自覚的じゃなきゃ飲み込まれてしまうんだよ「東京」に。おれは『水曜どうでしょう』だってこの文脈に読み込むよ。彼らだって、地続きだったら大阪ぐらいの反東京パワーを出さなきゃ、あんなことはできなかっただろうとマジで思うよ。テレビを見ていて関西弁が溢れかえっているのは、やっぱり関西人が日本で一番「くっそー、東京に負けるかー」って思っていることの反映なんだろうと、おれは思うね。


まあ今日はこんなところで許しといたろか。




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