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kumamoto というカキ


昨晩は近所のオイスター・バーに初めて入っていろいろとおいしいものを頂きつつグビグビとワインを飲んでいたのだが、その名も kumamoto(クマモト)という牡蠣のお味といったら吃驚仰天クリビツテンギョウ。


「ウマッ! こっ、これがカキ……!」


思わず真顔になってしまった。小粒ながら非常に濃厚な味わいに暫し呆然、まさに海のミルク。うーん。唸るな、どうも。

慥かにこんなに美味いのであれば各種取り揃えて食べ較べるなりなんなりしようという気持ちは分かる。というか今まで分かっていなかった。オイスター・バーというものの存在意義を。

「オイスター・バーってなんだい、牡蠣バーかい。そりゃカキは好きだけどさ。酢牡蠣だとかカキフライとかさあ。だけどカキ専門店って言われても、ねえ、よくわかんないね」

と( 何のためにセリフにしたのか自分でもよくわからないが )思っていた勘違いを一瞬で正してくれた正拳一発だったのだ。


そうとなればこれはどうでも店の人を質問攻めにしなければなりません。


「あのう、 kumamoto ってのは熊本県のクマモトなんですか?」


わたしは店の人に同情しよう。バカ酔っ払いの相手をするのはさぞ面倒だったであろうから。しかしそれは人が真顔になるようなものを食わした店側の責任でもある。ウソです迷惑料は勘定につけておいてください。つーか勘定したおぼえがないッ。してないワケもないのだが。




さてその kumamoto 牡蠣ですが、ネットで検索すると世のヒトビトも美味いうまいと騒いでいる。(参照:グーグル検索「牡蠣 kumamoto」


中でもキラリと輝くような「ハローねっとジャパン熊本発」さんの記事をご紹介:

・熊本カキの謎 http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/kaki/
・熊本牡蠣の謎 その2 http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/kaki/2.html
・熊本牡蠣の謎 その3 熊本カキはトップクラスの人気 http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/kaki/la/
・熊本牡蠣の謎 タウン誌 http://kumamoto.e-machi.ne.jp/sh/kaki/100sen/


いい記事だな~。ミニコミ好きにはたまりません。


そして、以下が当時は地元でも知られていなかった「 kumamoto 牡蠣の誕生秘話」である。


<カキの日米交流史>
アメリカは世界一のカキ生産・消費国だ。
最初にアメリカ大陸に移住した先祖が、海岸のカキと野生のトウモロコシで飢えをしのぎつつ開拓したことから”カキは神の授かりモノ”という特別な思い入れがあるのだという。
アメリカのカキは、大西洋岸のイースタンオイスター(東部カキ)が9割を占め、残り1割が日本と深いつながりを持つ太平洋岸のパシフィックオイスター(西部カキ)だ。

日米のカキにまつわる交流は明治時代までさかのぼる。
大西洋岸には小粒でカクテルやスープに珍重されるオリンピヤ・オイスターがある。寒さに弱いうえに漁場が荒廃して生産が減少したため、大西洋岸から東部カキの移植を試みたがうまくゆかない。そこで、1902(明治35)年頃から日本のマガキの移植が試みられた。
移植された日本のマガキは低温に強く成長がすこぶる早いことが分かり、宮城県の万石浦や松島で作られた種カキ(稚貝)が北太平洋コースを通ってシアトルに運ばれ、各地の漁場で養殖されるようになった。
日本からの移植ガキはパシフィックオイスター(太平洋ガキ)と呼ばれ、戦前多い年は稚カキ輸出が約7万箱にも達したが、戦時中は一粒のカキも送られていない。

<G・H・Qの指令>
終戦後、アメリカが何よりも求めてきたもの、それは種カキだった。
1945(昭和20)年10月、G・H・Q(マッカーサー司令部)から日本政府に種カキ8万箱の輸出要請がくる。
宮城県は漁場荒廃と資材不足で全量引き受けできない。不足分をどこで補うか。広島は被爆直後でカキどころではなく、熊本に白羽の矢が立った。
熊本のカキ養殖は不知火海の干潟で慶応年間から行われていた。干潟につくったカマボコ型の床に握りこぶしほどの石を蒔き、種付けする石蒔法(写真左)である。
熊本カキは、ほとんどが鹿児島に送られていたという。日本国内でもあまり知られておらず、もちろん輸出の経験など全くない。
1946(昭和21)年4月、国の指示を受けた中央水産業会は熊本県八代郡鏡町漁業会にアメリカ向け種カキ育成を勧奨する。
同年7月17日、鏡町漁業会の傘下にあった貝類養殖実行組合が種カキ育成を受諾した。鏡町野崎の塩田跡地に熊本県輸出種カキ指導所が開設され、岩手県から技師としてやってきたのが太田さんだった。
最初に30箱を試験輸出する。鏡町の有佐駅から塩釜と横浜へ鉄道輸送し、最終検査を済ませ本船に積み込んだ。試験輸出とは別に商業ベースでアメリカに渡った熊本種カキは、1948(昭和23)年以降6年間で2,787箱である。

「熊本牡蠣の謎 その2」より)




へえええ。歴史があるんですね。知らなかったなあ。面白い。


あとマスターが「空輸した後、業者のところで●●時間置いて滅菌する」と言ってたのが後で考えるとよく分からなかったが、どうやらこういうことらしいという解説もある記事がこちら。

・生牡蠣の話題アラカルト/王壮快の医療健康日記 http://www.cc.rim.or.jp/~yukako/files/20031021/


ははあ。これも知らなかったなあ。面白い。


さて明日から「あばれ旅」のラスト、福岡へ行ってきまーす。







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