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エノケン(榎本健一)の復刻CDを聴く

先日は嫌ひな音楽を聴いてゐて嫌な心持ちになつたので今日は僕の好きな音楽を聴かうと思ふ。




そこで『唄うエノケン大全集 蘇る戦前録音集』。今年はエノケン生誕100周年だそうで、そのイベントの絡みで出てきた2枚組CD。昨年出ていたことを知らず、先般ショップ店頭で見つけて即買いしたブツなのだ。

浅草の舞台やP・C・Lの音楽映画で一世を風靡した昭和の喜劇王エノケン。
戦前の貴重なポリドール時代の音源を現存するSP盤から復刻!
これぞエノケンソングの真髄!ジャズやスタンダードのカバーや映画で歌った
十八番のエノケンソングの数々が今よみがえる。発売以来初復刻音源も多数。
戦前エノケンがもっとも充実していた時期
モダン昭和のコミックソングの数々を網羅した2枚組



つまりこういう貴重盤を復刻したのだと。
参照:78回転SPレコードSP盤専門サイト「ポリドール狂時代」 凄まじいサイトです。)

これは……最高ですね。聴いていて何回も鳥肌が立った。至福である。感動である。笑い転げてしまう。目を閉じれば幼い日に親に手を引かれて「エノケンのちゃっきり金太」などを見に行ったことを昨日のように思い出すのは、なんたる音曲の魔術であろうか。

ヒップホッパーは必携だ。いみじくもアフリカ・バンバーターが言ったように「エノケンのCDを持っていなければヒップホップDJとは言えない」のである。そんなことは言わんか。オリジナル盤を手に入れてコスろうぜ、DJシャドウとカットケミストのように。絶対すごい怒られるけど。怒られるじゃ済まんだろうけど。


サテ1曲目からトバされたのは、バンドの達者さにであった。すごーく上手いのだ、ジャズが。信じられんぐらい上手い。このバンドだけのアルバムがあれば買うな。ミュートビートみたいなダブ・アルバムがいいな……。このバンドを従えて歌うエノケンは、さながらルイ・アームストロングかジミー・ラッシングかという豪勢さなのである。

そうそう、私のエノケン好きは昨日今日に始まったことじゃないんだ。ハタチ前後の頃『蘇えるエノケン・榎本健一大全集』というCD(廃盤)にハマッて、毎日歌い暮らしていたものである。たぶん今でもめっちゃ歌えるのである。

そんな私が特にたまらなかったのは1枚目の「ダイナ」「月光値千金」「南京豆売り」とくるあたりだったが、これがまた「舞台の実況か?」と思うような生々しさのある録音でびっくり。もちろん私の知ってるバージョンとは別物。繰り返すが達者なバンドで、ラテン・ナンバーはちゃんとラテンの音がしている。これは「得したなあ」と思うし、もっと早く買うべきだったと思う。買えたからいいけど。買わないと「損しちゃうぞ!」(Disc2-1.「俺は猿飛佐助」より)


ところで「歌は体術だなあ」と思ったのである。
エノケンの歌の魅力は、運動神経の魅力と言えるのではないか。誰でも言うことだが、エノケンの声はいわゆる美声ではなくシャガレ声であって節回しも繊細ではないが、リズム感と音程が非常に良い(絶対音感があったそうである)。

リズム感がイイのは踊って暴れるコメディアンだからであり、彼の歌の「上手さ」は、その飛び抜けて優れた運動神経と直結しているもののように思われる。なんと全盛期は垂直の壁の上を走れたとも聞くのですが、なんだかJBが若い頃はボクシングをやっててバク宙もできたという話と通じるものを感じますな。

というところで次行きますか、次。








さふ言へば先日は強ひて嫌ひな音楽を聴いて嫌だつたので今日は僕の好きな音楽を聴かうと思ふ。





そこで『エノケン ミーツ トリロー』。今年はエノケン生誕100周年だそうで、そのイベントの絡みで出てきた2枚組CD。昨年出ていたことを知らず、先般ショップ店頭で見つけて即買いしたブツなのだ。

エノケンの三木鶏郎曲集であり、これはもう、聴く前から期待が募ります。ワクワクして包装ビニールをはがす指が震える。なんたって開巻そうそうアノ幻の「チンチロリン・サンバ」がぶちかまされるのだ。

今言ったことを解説しよう。「チンチロリン・サンバ」とは、若き日の橋本治センセエが、小林信彦の文庫本の解説かなんかで作品で使われた元ネタとしてこの曲を「とっても可愛いんだからッ!!」などと熱烈に紹介した挙句、小林さんに「違います落語の垂乳根です」と言われて恥かいたとかっつって別のエッセイで泣きマネしたり大騒ぎを演じて以来幾星霜、1年前に出版された『川田晴久と美空ひばり』(中央公論新社)において再度取り上げ、マコトにミゴトにオトコを見せたというイワク付きの曲なのである。

(このCDに収められているのがそのバージョンだというのは検索してこの方の日記で知りました。世の中には色んなことを知ってる人がいるものである。)

橋本さんのその文章は、戦後の芸能史を独自の視点で分析している手間と元手のかかった物凄い論文なので一読の価値あり。橋本治の浪曲論なんてアナタ。一読どころか何度も読み返すことになりそうな予感がビンビンしている。


もう少しだけ歌の話をする。「腹がへってもヘイチャラ」という歌のことである。

 ♪腹がへっても ヘイチャラだい 
  金がなくても ヘイチャラだい
  スチャラカホイったら スチャラカホイ♪

……という歌なのだが、いい大人が「腹が減った」と歌っている。現代日本ではありえない。コンビニに行けばいいじゃんという話である。そしてこの歌が、素晴らしい。私には素晴らしく聴こえる。それは、これが当時の日常のひとコマを切り取った歌であることから来ていると思う。

この歌から直感的に分かることは、この歌が作られた時代背景とは、人々の毎日の生活の中に歌があり、人々は歌と共に生きているということである。その人たちは嬉しいと言っては歌い、悲しいと言っては歌っている。嬉しいときには嬉しい歌を。悲しいときには悲しい歌を。

この歌では歌う者と聴く者の距離が非常に近い。エノケンは私のすぐ隣りに居る。「腹へったなあ」と笑い合い、お互いにポーンと肩を叩き合える位置に。最近のJポップと比べて聴いてみれば、恐ろしくなるほどの共感性の高さが歌唱の前提とされているのが分かる。Jポップを聴き慣れた耳には非常に違和感があるのではないか。

私はこの歌を聴きながらおかしくて笑い、聴き終わってジーンとくるような感銘を受ける。


誤解を恐れずに言えば、こんな歌を聴いてしまうと、私たちの世代には音楽がないのではないか、と思ってしまう。私たちの周りにあるのはアタマで作ったヘッド・ミュージックばっかりだ、と思う。計算して作られたものばかりだ、と思って悲しくなる。

音楽の肉体性は、腹の底から涌き出たリズムは歌詞は、よくよく見ればバラバラに解体された破片の中に少うしだけ見つかることがある、という状況ではないか。この言い方があなたに通じるならば、まったく同じ意味で、私たちの世代には文学もないのだ。私たちは一人ひとりバラバラになってしまった。町にはもう、孤独な者が孤独を歌うような音楽や文学しか売っていないのである。

そういう歌もあるだろう。そういう文学もあるだろう。しかし、それ「しか」なくなってしまったら、それは音楽にとっても文学にとっても不幸なのではないだろうか。人間にとって不幸なのではないだろうか?

時代が違う、それはそうだ。時代の必然からして仕方のないことだろう。しかし、この当時の音楽家や文学者の「志」のあり方には、もう本当に見るべき所は残っていないのだろうか? 人を喜ばせ、慰め、勇気づけるために歌を作り、お話を考えるという「志」あるいは「義務感」あるいは「使命感」には、学ぶことは残っていないか?



そんなことをぼんやり考えながらもう一度聴いてみようか。私はエノケンの歌を愛しているのだろう。






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